今回の大震災、捉え方は さまざまかと 思います。
この詩を読んで
『アホじゃないか』 とか
『よくぞ 代弁してくれた』 とか …。
受け止める方も 心の奥底を
試されてるような そんな気さえします。
私自身、どうとでも捉えらる詩だと 客観視する立場をとりたいと
考えては おりますが …
少なくとも 被災した立場、家族を失ったり 住まいを失ったり
故郷を めちゃくちゃに 破壊されたりしたら …
とても冷静でいる気がしません。
なので もしも そのような立場で この詩を読んだなら …
何度も 何度も 読んで 繰り返し読んで 気が済むまで
悔いたり 怒ったり 責めたり …
人間の負の本性を 丸出しにしてしまうと思います。
私と同郷の出身でもある この詩の作者 …
独特の空気を醸し出すヒトでもありますので
『そもそも キライ』 とか 『生理的にダメ』 とか
彼のキャラに対しての 嫌悪感を
強く持ってしまわれている方々も
多いとも思います。
(少々 残念ですが…)
そのことは できるだけ 意識から排除して
読んでみてください。
先日 ある 報道番組で 気仙沼から 再び
マグロ漁へ出かけて行った男性の方の
ショート・ドキュメントを見ましたが …
弟さんを 津波で亡くされて さらには 漁師仲間も 亡くされていて …
海のおかげで生きてこられた 感謝を述べつつ
『 今は 海が 心底 恨めしい 』 と おしゃっていました …。
散文詩「復興」(全文)
憎い
憎い
私は 自然が憎い
憎い 憎い 私は 海が憎い
たわむれ 優しく 大きく 父のような海だったのに
恐くて憎くて たまらない 許せない 絶対に許さない
こんなに あなたを 愛して 生きてきたのに
なぜ 海よ あなたは 私たちを壊す?
なぜ 何もかも奪い去る?
なぜ こんなにひどい事をする?
私たちが 何をした?
私たちの営みは
先人たちの教えを守り
繁栄に あぐらなど かかず
せっせせっせと汗水唾らし
大地と海に敬礼し漁に出た 畑も耕した
陽が沈む水平線に しあわせの涙を少しだけ流し
ささやかな営みに 家族と笑い
白き鳥のさえずりを追いかけ
嘘をつかずに懸命に生きてきた
なのに海よ なぜにあなたは私から全てを奪った?
私たちが狂ったのか 全て悪いのは私たちなのか
いいや! ちがう! 決してちがう! 私は言おう
地球よ 貴様が狂っている あなたが 狂っている
あなたに わかるか?
あなたに私の想いがわかるか?
小高い丘の上から
ただそれを見つめることしかできなかった無力な私の想いを
私たちの親が… 友人が… そして
愛する我が子が…
犬の太郎も家も机も写真も何もかも
貴様が犯した濁流に飲み込まれた
私は… 私には…
そんな私の想いに海よ あなたは何と答えてくれるのですか
海よ 貴様は どう答えてくれる?
どう答えるかと聞いているんだ!
そうやって ただ黙り
何もなかったように今日もおだやかをよそおっている
はっきり言おう
いいか 海よ
私たちは貴様から決して逃げはしない
私たちは連帯という武器を今 首にかけ
静まりかえった貴様のふところへ
壊れた船であろうとも さらに両の手で漕いで生く
私たち人間の力をみくびると
ただではおかない
そして さらに
私たちは強固な絆を結び
まもなく立ち上がる
そして叫ぶ
家族を返せ!
友を返せ!
家を返せ!
ふるさとを返せ!
犠牲になった命の破片を
高らかな怒りの帆に吹き付け
今 狩りに出かける
自然よ 海よ 大地よ 空よ
覚えておくがいい
俺たち漁師は 貴様が思っているほど弱くはない
私たち農夫は 貴様が思っているほど軟ではない
屈強な精神と肉体に
まもなく「覚悟」を宿らせる
そして怒る わめく 叫びちらすのだ
『生きる覚悟があるのだ!』と
一国心中などなるものか!
今こそ このむごたらしい現実を直視したからには 瞳をそらさず
ゆっくり立ちのぼってくる生き物の息吹に手を打ちならそう
どんなにささやかでもいい
勇気ある小さな者たちを どんどんグングンたたえるのだ
共に拳が上がったら 一目散に駆け上がれ
生存せよ!の方向へ駆け上がり
立ち向かうのだ
たとえ それが自然という憎き相手でも
私たちは決してひるまない
憎くても
怖くても
許せなくても
それでも
私たちは あの場所を
この国を
愛してやまないのだから
音楽家 長渕 剛